プロローグ

 

 

 

 

 

 

丑の刻迫る深夜。

神社の境内に跳躍する影があった。影はゆっくりと弧を描き神社の屋根へと降り立つ。

月明かりに照らされた中性的な美貌は性別の判別をつけずらくしていた。

腰までのびた黒髪を後ろで束ね、紫色の中国服に身を包んでいる。所々に金の糸で鮮やかな刺繍が施されていた。
その人物はたれ目がちな瞳を細めると右手に収まっている青竜刀をひらめかせた。

 

 

 

――ドォォォン・・・

 

 

 


衝撃が走り、青竜刀から光が弾けた。
青竜刀を振り下ろした先を見下ろし、困ったように首を傾げ、黒いモヤのような塊が蠢いているのを見つめた。
 

「しつこいわねぇ。神域までついてくるなんてホント罰当たりよ。」
口から紡がれた声は口調とは裏腹に低く、その人物が男性であることを告げていた。
 

 

 

 

「あのねぇ、ワタシ遊んでるヒマないの。仕事なの!忙しいの!!わかったらアッチ行ってちょうだい。」

腰に手を当てて可愛らしく怒ってみせたが、どうやら黒いモヤには言葉は通じないらしい。

少しずつ間合いを詰めはじめた。

 

 

 

「魑魅魍魎の類に可愛こぶるアホウを初めてみたよ。」
暗闇に少年の声が響き、彼の足元から黒猫が姿を表した。

呆れたとばかりに首を振るとわざとらしくため息までついた。そんな黒猫を睨み付け呟いた。   
 

 

 

「・・・アホウですって?」  「<ど>をつけてもいい。」
 

 

 

長身の主人を見上げ、黒猫は間髪入れず答えた。金色の瞳には真剣さが漂っている。
 

 

 

「飼い猫の分際で生意気な口聞くじゃなぁい?こぉのクソ猫!!」
「猫じゃない、式だ。クソオカマ。」
 

その瞬間青竜刀がすさまじい勢いで足元に振り下ろされた。が、猫の方はその攻撃を予想していたらしく、

青竜刀が振り下ろされるより先に後方へ飛んでいた。

自分のいた場所に穴が開いているのをちらりと見やり、猫はしっぽをピンと上げ全身の毛を逆立てた。
 

 

 

「何すんのさ!動物虐待だぞクソオカマ!!」
「アンタさっき自分で動物じゃないって言ったじゃない!都合の悪いときだけ動物ぶるんじゃないわよ!」

 

 

 

「それはそれ、これはこれだよ。だって考えてもみなよクソオカマ。一般常識的に僕は賢くて

愛らしい普通の黒猫だよ?その僕に刃物向けるなんて端からみたら悪魔のごとき所業だよね?

それに引き替え君はオネェ言葉を繰り出し刃物を振り回すクソオカマ。どう見積もったって

僕は哀れな虐待猫だよ。一般常識的に。」

 

 

 

「クソクソうるさいわね!猫ごときに一般常識語られたか無いわよ!!」
 

 

 

「猫が一般常識語っちゃいけないなんていつ決まったのさ。大体イマドキのワカモノに一般常識が欠けてるんだから、

僕のような良識猫が一般常識の何たるかを語らなくて誰が語るっていうのさ?猫差別はいけないよ。

保護団体に涙ながらに訴えるぞ。」
一つ言うと十になって返ってくる。そんな黒猫に彼はげんなりしながら呟いた。

 

 

 

(アンタの一般常識はピントがずれてんのよ・・・)

 

 

 

首根っ子を押さえ付けようと進み出ると黒猫が小さく唸り声を上げ、主人へ警戒を促した。
黒猫の視線の先に黒いモヤが躍動するのを見て取ると、左手を素早く服の袖へ潜らせ紙片を取り出し、

右手に握られていた青竜刀を放り投げた。それを器用に口でキャッチし、黒猫は彼の後ろへ控えた。
 

 

 

 

――いつでも飛び掛かれるぞ。
 

 

黒猫の瞳がそう語っていた。

 

 

 

――ウォォッ・・・
 

 

 

 

それは人間の叫び声のように聞こえた。

男女入り交じった不気味な声の塊がまるで意志を持っているかのように彼へと襲い掛かった。

 

 

 

「イー、アル、サン、スー・・・縛っ!!」
左手を塊に突き出すと紙片から光が放たれた。

 

 

 

 

――ウォォォォッ!!
 

 

 

 

一瞬塊の動きが鈍くなった。苦しんでいるのだ。彼はそれを見逃さなかった。すかさず右拳を突き出す。

 

 

 

「あの世へお逝き!発頸!!」
 

 

 

――グギャァァァッ!!
 

 

 

まさに断末魔の悲鳴と呼ぶにふさわしい叫び声だった。

彼の右拳から発せられた青白い光が黒い塊を飲み込み、やがて声も掻き消えた。

後には静寂だけが残り、まるで今の出来事が夢だったかのようにも思えた。
――ただ、微かに残る右手の光だけがそれが現実であることを告げる。
 

 

 

 

右手を月にかざした。たれ目がちの優しい瞳が物憂げにそれを見つめる。やがて彼は静かに瞳を閉じた。

それはまるで祈るかのようにも見えた。
 

 

 

 

魑魅魍魎と成り果てたかつて人であったもの。その魂の欠片に触れたとき、願わずにはいられない。

たとえそれが単なる感傷にすぎないのだとしても。
そんな主人の後ろ姿を黒猫は何も言わずに見守った。どんなに願っても意味など無い。甘いな、と心の中で呟いた。

しかしそう思いつつも黒猫は彼のそんなところがほんのちょっぴり好きだった。
 

 

 

(・・・まぁ、バカだけどね)
 

 

 

「さてと・・・そろそろ行かなきゃね。」
右手を腰に添え振り向くと、彼は黒猫に微笑みかけた。歩み寄ってきた黒猫から青竜刀を受け取り、彼はもう一度月を仰ぎみた。
 

 

 

 

 

(次は幸ある道を・・・)

彼は小さく嘆息し、神社の屋根から軽やかに地面へと降りた。黒猫がそれにつづく。

歩きだした主人の後を追いながらずっと頭に引っかかっていたことを主人へと投げかけた。
 

 

「・・・あのさぁ、器物破損って言葉知ってる?」
彼の足がピタリと止まった。
 

 

「マオ、ここの住所調べておいてちょうだい。」
どうやらちゃんと弁償する気らしい。
 

 

 

「了解」
黒猫は満足そうに頷いた。見てみぬふりは良くない。

神社の神様に平謝りをした一人と一匹は、そのまま闇の中へと姿を消した。
彼らの行方をただ月だけが見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

to be continued...